オホーツク版「親心の記録」を作ろうとした訳…
「親心の記録」と網走市育成会との出会いは
札幌で行われた2008年手をつなぐ育成会の全国大会の時でした。
それからしばらくしてやっと手に入れた
船橋市手をつなぐ育成会の「親心の記録」。この冊子は全国大会中でも数多く販売され、全国の皆さんに合計2,000部が手渡されたそうです。
この「親心の記録」そのまま記入して使うのもいいのですが
制作者側から
「自分たちの地域にあわせてどんどん変えて“ご当地版”を作ってください」とのメッセージがありました。
寛大で深い心の持ち主である船橋の方々に感謝です。
さっそく私達網走市手をつなぐ育成会は動きやすいように、
実行委員会組織を編成し、市の助成をいただき冊子制作に取り掛かりました。
なぜすぐに取り掛かかったかと言うと・・・
NHKテレビのリポートの中では時間の都合で割愛された内容なのですが
読んでください。
オホーツク地区のだけに限られた話ではないのですが
高等養護学校が、遠隔地にしかなかったり、
高度医療設備や特殊な子どもを見てくれる医療機関が遠かったり
親たちは障がいのある子どもたちに必要な医療や教育を受けさせるためにかなりの距離を自家用車などで移動しているのが現状です。
我が家も中標津高等養護学校に裏摩周経由か、根北峠経由で
両方とも片道約100kmを週末ごとに送迎していました。
斜里・小清水・網走方面のほかに釧路・白糠方面、
遠くは根室からも生徒がきていました。
JR釧網線はとっくに廃止され、公共の乗り物はバスで
路線も本数も少ないことからどうしても自家用車の送迎を余儀なくされています。
現在21才になる息子が通っていたころは学校とPTAが一緒になって
一番生徒数の多い釧路地区で年間数本だけですが
専用にバスをチャーターして運行しました。
PTAからはお母さん方がお世話係として添乗して手伝いました。
しかしそれは年間たった数本のこと。あとの送迎はもちろん各家庭です。
息子が2年生の冬に、
同級生の女の子を学校に送った後、自宅に帰る途中のお母さんが冬道特有のスリップ事故で大型の車と正面衝突されたそうで亡くなってしまいました。
この訃報は各担任の先生から同級生のいる家庭へ伝えられました。
大変衝撃を受けました。どんなに無念だったことだろうと思うと胸の中に大きな石の塊が入ったように重たく苦しい気持ちになりました。
その残されたお嬢さんはこのあと大切なお母さんの死を受け入れられるでしょうか、葬儀など色々な知らないことが執り行われたあと誰かに支えられてしっかり生きていけるでしょうか。…実はこれらのことが一番気がかりだったのは亡くなられたお母さん本人の様な気がします。
このほかに大事故には至らなかったものの吹雪の吹き溜まりで車を廃車にしてしまったお母さんも網走にいました。
実は私も重大事故を起こしています。
息子が中学生の時、秋から冬へ変わる季節の変わり目で
息子のほかに二組の親子を乗せた車で、スリップから8m崖下へ転落し、車が逆さまになりました。
「みんな生きているだろうか?」直後に搭乗者の生死を心配したほどの大事故でした。
この時に二人のお母さんにケガを負わせてしまいました。
ひとりは一カ月以上入院、その後もコルセットをつけての生活と通院という大けがでした。
この時から私は「もしかしたら自分は、この子たちの親の命を奪ってしまっていたかもしれない」という考えが頭から離れなくなりました。
「もしもこの子たちの親の命を奪ってしまったら、後のことは旦那さんや家族に任されるだろうけど自分も出来るだけの部分、協力しなくてはならない」そんなことも考えました。
この時親子三組で車に乗っていたのには理由がありました。
網走から帯広管内の音更町に発達外来の診療のため長年に渡り月に一度の通院をしていたしていた親子が何組もいるので、網走でも診療出来るようにしてほしいとの嘆願と、集めた署名を届けに行くところだったのです。
網走での発達外来はおかげ様で実現しその後は希望者が一度音更を訪れたのちに通えるようになりましたが、身体障がいの補装具が旭川でしか作ってもらえなかったり、特殊な難病の専門家が釧路にしかいなかったり、遠くに行かなければならない人はいつまでもいるようです。
特に冬の気候が厳しいこの地域では親たちは命をかけて子を守り、育てていると言っても過言ではないでしょう。
このいくつかの事故やの経験から、死はいつ誰に訪れるかわからないといつも心のどこかで思っています。
順番からいったら子どもより先に親が亡くなることは分かっているが、
「この子を残して死ぬなんてできない」「できれば一日でも子より長生きして子の人生を見届けてあげたい」そんな矛盾した、わがままな感情もあります。
どうしたら死が自分に訪れたときに安らかに逝けるでしょうか。
わがままな感情と、どう準備したらいいか考える冷静さと、親たちは子との別れを思う時に複雑なものだと思います。
長くなりましたが、そういったときに全国大会の「親心の記録」の存在を知ったので、ぜひ過酷な自然環境と社会環境の中にあるオホーツクの地に、自分たち仕様のものを作りたいと思ったのです。
読んでいただきありがとうございました。
文:小西栄理